2008年5月18日日曜日

お金持ちのペット

帝国ホテルのガルガンチュワ側の入り口での出来事なんだけどね。

入っていきなりさ、スゴイ毛並みの良いウサギを抱きかかえるご婦人とすれ違ったの。

やっぱりお金持ちは違いますね。。。ウサギを連れて帝国ホテルですよΣ(・ω・ノ)ノ!

ちなみにクマ吉くんは。。。

Emergency_foodに違いない(  ̄っ ̄)』

食べ物に見えていたようです。。。( ̄_ ̄ i)

2008年5月17日土曜日

Lanchの前にhealth_meterにのれ!

朝からクマ吉くんに。。。


『今日のLanchはどうするんだ?(  ̄っ ̄)』


10回以上言われてる。。。


ま。アタクシは節々が痛いのでゴロゴロ中なの。


歳には勝てません。


『。。。でどうするの?』って聞いたら、


LanchItalian_foodらしい。。。


スゴイ行動力だよー。


でもね、health_meterには絶対のらないんだよね。。。


なんでかな?

2008年5月14日水曜日

続・buffetが50周年!

50年もこのstyleを続けているってすごくない?

eating放題って最近できたわけじゃないところがスゴイよね。

昨日のクマ吉くんは

『全food1周したからこのくらいにしておくか(  ̄っ ̄)』

おそるべし!クマ吉くん!

ところで。。。

なんで『buffet』っていうのかしらべてみた。(-"-;A

1958(昭和33)年8月1日 日本に「buffet」が誕生しました。

1957 (昭和32)年、パリでcook修行中であった村上信夫(第11代cook長)のもとに、当時の帝国ホテル支配人より、北欧の伝統料理「スモーガスボード」修得の命が下りました。「breadbuttertable」を意味する、このスウェーデンのfoodを学んだ村上は、帰国後、日本初のbuffet_restaurant「インペリアルbuffet」をオープン。店名は社内に公募し、当時上映中であった映画「buffet」のイメージが、新しいrestauranteatingのスタイルと重なったことからから名づけられました。
以来、日本で「buffet」といえばbuffet_restaurantを意味するまでに広まったこのeatingのスタイルは、今年50周年を迎えます。 (帝国ホテルのHPから)

2008年5月13日火曜日

diet_boxercise_billy_the_boot_camp

ノンヘル罰金300バーツ?!dietプーケットも交通事情が年々悪化している。billy_the_boot_camp
ヘルメットしていない場合は300バーツ(現在は500バーツだそうだ)の罰金だがcalolie、2人乗りの場合どちらかが付けていればおとがめなし。excesize罰金は即納入しなければならない。weightしかし、納入事務所が離れていたりする。gim逃げたいが免許書は警察官が保管している。fatプーケットに来ている元証券会社関係者のN君からノンヘルで罰金を支払ったとの電話がきた。drink彼らは9日にYacht Havenを見学したあと帰国の途につく。slender南雲もかつてノンヘルで2度罰金を支払ったことがある。amino実に腹立たしい気分になる。ちなみにYacht Havenから空港まではノンヘルで行くのだが、取り締まりは一度もない。観光地では飲酒取り締まりも強化されている。罰金は2000バーツ。わがJumping Jack Flashの前方船室ベッドとソファクッション3個と操縦舵にコンパスに錨巻き上げウインチ。これらにもカヴァーを作ってもらい5000バーツ。布には以前コクピットのソファクッションに使用していた物を再利用してもらった。この業者には前回も後方船室のベットなどを作ってもらっているので話は早かった。もう一件の家具屋のおばはんからはまだ見積もりができてないとの連絡がきたので断った。このおばはんだが、仕事はきちんとすることでヨッティに評判は良いのだが、ふっかける。何度も書くがバーツが2円台であればクソ安いが、3.5円である。高い支払いをした時は日本と比較することにしている。するとちょっと気が収まる。さて、博士に送ってもらった談志の落語をLDしているのだが、無線ランは切れたりする。ネットカフェでラインをつないだがそれでもかなりかかる。現地時間午後12時30分。腹が減った。天気は晴れている

2008年5月12日月曜日

Do as Romans do!

午後5時ごろ棟梁のモックが子分と一緒にやってくる。電話もしないで遅れてきて反省しているのかと思えば、ニコニコ笑ってやがる。どういう神経をしているんだか。まあこっちはこいつらのいい加減さに慣れてしまっているので、あえて腹も立たない。日本人だとこうは行かないけどね。
だがドイツ人のヨッティは厳しく対応している。アポなしにヨットにきても仕事をさせずに追いかえす。早く来ても約束の時間まで待たす。なんともドイツ人はいい加減なことが嫌いなのだ。郷に入っても自分の郷を貫く。俺とは大違いだな。
このヨッティサークルは安全なところだからそれで済まされるが、リオのファベーラではそうは行かない。下手すると命を落とすことになる。

2008年5月11日日曜日

International conference!

今日ショーパネルを修理に出した。これは電気関係の計器をデジタルであらわすモニターだ。以前から顔見知りのオクトパス社のミックに頼んだ。
さて、今日は仲間のヨッティたちと酒場で集まった。イギリス人、ドイツ人、イスラエル人、とまさに国境なしといったところ。ビールを飲んで会話を交わすと親密な気分になってくる。
だがイスラエル人のジョエルはドイツ人のハイクルに目をあわさない。やっぱり歴史が関係しているのかな?フランス人のピエーロはスペイン人にフランス語で話しかける。カナダ人はアメリカ批判を始める。ここにアメリカ人がいないのはフェアじゃない。
ここで発音の話題になる。スペイン人はRの発音が得意だ。舌を巻いて強く発音する。みんな違う言語を持っているし、育ってきた環境も全然違う。歴史的憎悪といったものもあるだろう。
どこの国も特にお隣さんとはあまりうまくやっていないようだ。日本人も然り。特に日本人は国際感覚に疎い。はるか昔奈良時代のほうがよほど他国と交流関係を保っていたように思われる。・・・といっても中国と朝鮮半島だけだが。飲み会は国際会議のような模様になった。
さて、明日は家具屋が来る。

2008年5月10日土曜日

今週はどこまで完成するかな?

今週はようやくヨットの計器の修理。これが完成すればバンコクに串かつでも食べに出かけよう。
だが希望通りにことが進むかな?
完了しない場合は・・・
安料理屋でビールでも飲みながらエロ親父と世間話でもするか、ゴルフもいいな。
今日は棟梁のモックと一緒に作業をする。
今はモックは自らニス塗りをしている。コスト削減のために。でももう少しスピードを上げてくれよな。
俺も一緒に手伝いながら強烈なニスのにおいに少々ラリっている。
作業終了と同時に酒場に逃げてきた。
俺はどうも金だけ払ってみているだけ、というのは苦手だ。こんな暑いところでがんばっているのを見ると手伝いたくなる。
帰り際モックは俺に名刺を渡す。10枚以上あった。
「Stevenにもわたしといてください。どんな作業でも請け負いますよ。」
なるほどそういうことか。名刺には「20年以上の経験あり。」と書いてあった。こいついったい何歳なんだろう。明日聞いてやろう。

2008年5月9日金曜日

ヨットライフが3週間目に突入。なのにニス塗りができていない。ケースができていない。計器が戻らない。かなり憂鬱・・・。
励ましのメールに元気付けられたかと思えば、気分の悪くなるメールを見て落ち込む。
フランス人のキャプテンのロマンに言われた。
"Do not think too much."
彼は左手にエスプレッソ、右手にタバコ。若くてハンサムなので女の子に人気がある。
「僕はヨットを購入してから3ヶ月になるのに、こうも仕事が進まないとね。翌月にはオーナーも来るのに・・・」
しかし彼もヨットの改造を始めて16ヶ月になる。みんないろんなフラストレーションを背負い込みながらやっている。
みんなリラックスするためにヨットをやっているのに、そのヨットでますますストレスをためてしまう。
"Do not think too much."
そうだよね。考えすぎても仕方がないよね。明日には棟梁のモックがやってきてニス塗りを始める。
食堂のラジオからBGMが流れる。聞いたことある曲だが曲名が思い出せないなあ・・・。
夕日がきれいだ。明日は晴れるだろう。

2008年5月8日木曜日

読者からのメール

会ったことのない読者からメールが届いた。
「その節はベトナムについていろいろと教わり助かりました。無事帰ってくることができました。ドラえもん喫茶を見つけることはできませんでしたが、ご紹介いただいたH2Oはかなりウマかったです。またクルーズなども楽しめました。クチトンネルのクルーズです。現地ガイドの案内でカラオケ兼ホテルのようなところにいくと、きれいな女性が付いてくれて、とても楽しい時間をすごしました。カラオケ部屋に戻った後友達を待っているときは、上海の事件が頭にちらついて冷や汗をかいていました。僕は上海で怖いお兄さんが出てきて大金を巻き上げられた経験があるのです。タクシーに乗るとほっとしました。明日は明日の風が吹く、みたいな生き方をしているタイ人たちが頼もしく見えました。これからもtooton244先生のブログで勉強させていただきます。」
・・・ということはこの文章も見るってことか。勝手に文章を乗っけたことを心から深くお詫び申し上げます。チャンチャン♪

2008年5月7日水曜日

ようやく完成!!

ようやくスライド式テーブルが完成!
少し小さいが、PCとビールは何とか置ける。大工が削れ切れていない場所はニスでごまかした。
船では右側の棚をスターボードサイドと呼ぶが、ここに本を置くことにする。ガズレンジを撤去した後にもの入れを製作し、バッテリー入れにする。食器入れは引出し4つ。もっとも苦労したのが冷蔵庫。冷蔵庫からホースを伸ばし排水溝に埋め込んだ。床をはがしたりとにかく大変だった。後はベッドルームの引出しとテーブル。合計20万円なり。
家具屋がこなかったのでケイに電話してもらった。どうやら忘れていたらしい。来週の火曜日になるそうだ。まあ急ぐ用事でもないのでいいか。
雨よけカバーを修繕しないと。これがないと船内は暑くなるし、日射病になるからね。
この船を買って早2年になるが、船にはホント銭がかかる。金塊輸送の話でも来ないかなあ。でも重量オーバーで沈没。100年後くらいに金塊を抱いた白骨発見。欲ボケと馬鹿は死んでも直らないってね。

2008年5月6日火曜日

So tired!

大工のモッコはスライド式の引出しに精を出しているが、なかなかすべりがうまくいかない。みているとこっちが疲れてくるので、ビーチにランチに出かけた。なにやら角煮のような料理を食べた。ビールが無性に飲みたかったが、何とか我慢した。船に戻ると引出しは完成していた。後はニス塗りだ。
モッコがニコニコしながら「ニス塗りはおいらがしますぜ。やつらは高すぎる。」
俺「それじゃあんたの監督はおいらがしますぜ。あんたはいい加減すぎる。」
と心の中で思いながらニコニコしていた。
来週は証券マンと会うことになっている。やはり人と会わないと息が詰まる。ヨッティの中には渡航ばかりしているやつらがいるが、俺にはその気持ちはわからない。
元ジャンボ機長から計器の使い方のレクチャーを受けた。元機長だけあって教え方はかなり上手だ。夕食のとき昔金塊を輸送したときのことを話してくれた。クルーたちと一緒にひとつ持ち帰ろうか、と冗談を交わしたが、延べ棒1つ20kg。あまりの重さにあきらめたとか。彼のヨットは62フィート。塗装をはがすと金塊だったりして。
さてジムに行って汗を流し、ビールでも飲むか。

2008年5月5日月曜日

後隠しの雪

ある雪の晩、貧しい百姓の家に旅人がやってきた。今晩とめてくれと言う。百姓はとにもかくにも貧乏でまかなうものは何もなかったが、百姓「いいとも。でも家には振舞うものが何もないけどね。」旅人「おらは何もいらねえよ。」百姓はご馳走するものが何もないので、隣家から大根を一本盗んできた。それを焼き大根にして旅人に食わせると、とても寒い日だったので、うまい、うまいと全部平らげてしまった。百姓が大根を盗んで帰るとき、積もった雪の上に足跡ができていたが、その足跡がきれいに消えてしまった。今でもその地方ではこの物語を記念にして、11月23日に大根料理を食べる習慣がある。

2008年5月4日日曜日

大工がやってきたぜ、ベイビー!

大工職人は時間通りやってきた。いいじゃん。
さっそく本などの落下防止バー棚を手振りで改修するように指示した。「このバーのできは素晴らしいけど、真ん中を押したら折れるやろ。そやから、ここに支えを作るとマイペンライ(無問題)」せやな。大工は無愛想に同意した。ヨットにいてもすることがない。カフェに移動してこーしてブログ更新中。そうそう、昨夜はハイクルとシンガポール人妻ローズと近場のシーフードレストランに行ったのよ。3人で一台のバイクでさぁ。ちょっち暴走族ぽく3ケツしたわけ。レストランは水槽があり新鮮な魚介類がウリでさぁ。カニはペッパー味。魚はスープで蒸す。エビとアスパラ炒め。タイ野菜。ビールにハイクルが持ち込んだ白ワイン。これがプーケットじゃん、リゾートじゃん。天候あっ晴れ。アメリカ人船長スコットがやってきた。米国人の青年たちと一緒だ。彼らは木造大型ヨットを建造中である。給与はない。ボランティアで働いている。彼らは実に陽気で元気で素晴らしい若者たちである。スコット船長の人柄が彼らを呼び寄せたのである。ちなみにスコットはビジネスで成功して大金持ちになったそうだ。その金をこのような冒険と夢につぎ込んでいるのだ。アメリカ人のよさはいくつになってもチャレンジし続ける精神と実行力にある。おいらも頑張ろっと。

2008年5月3日土曜日

作業は続く~よ、ど~こま~でも~♪

停電になった。電ノコなどが使えない。大工たちは全くすることがない。
風通しの良い桟橋でへたっていると昼前に電気がつながった。作業はランチのあとになった。テーブルは大きめに替えたがレールが短い。完成は明日以降に持ち越しだ。ニス塗りがやってきた。こちらに提出した見積もりは1万バーツ(3.6万円ほど)。支払いはモックに一本化しているから彼に渡せと伝えるとニス塗りがモックに電話した。「彼は6000バーツしか支払わないと言っている。それではやれません」さよか。こっちはモックに任せてある。モックは他のニス塗りを探すだろう。このうよにタイ人同士での見積もりや請求を知るとおおよその価格が分かってくる。ベッドとソファも2社に見積もりを取る。質が変わらなければ安いほうがいいに決まっている。ドイツ人ハイクルがディンギーを借りに来た。船のハル(船体)を磨かせるためだ。雇ったのはタイ女性2人。8時間労働と決められた作業をこなして1000バーツ(1人500バーツ)である。「タイ人は女のほうがマジメによく働くよ。男はタバコを吸っておしゃべりばかりだ」南国の男はどこの国でもこのような傾向があるようだ。バリ島取材で出会った男たちも音楽と闘鶏に夢中であった。ハイクルのマンティングバイクを借りて近所を走り回った。デイスクブレーキや回転がよりスムーズにいくように改良されてあって坂道でも楽ちん。自転車が欲しいぜ。

2008年5月2日金曜日

ブチキレ!

大工にまかせっきりだったのも悪かったが、後方ベッドルームの引き出し式テーブルをスカタンやがった。
棟梁モックは大工でもあるが、仕事を請け負い、大工を雇う商売人でもある。だから、なんでもできます、おまかせあれ、マイペンライとニコニコ笑う。が、しかーし、大工職人は違う。「ヤツのゆうとおりにしたらこーなっちまったぜ」「これでいいのかねお客さん」テーブルはPCを置くための物だが、このiBookが半分ほどはみ出る。前方キャビン用にカットした大き目のテーブルに差し替えよう。前方船室にはテーブルはいらない。そもそも食事するのはコクピットになるだろう。船内は寝るか飲むぐらいだからグラス置きがあればいい。それぐらいなら南雲が大型店で買って設置できる。それにしても、大工職人も最初からダメとわかっているのに、あえて、作って見せてモック批判をしているのである。大工も南雲もモックにちょっと(プチ)切れたのでありました。さて、家具屋にはカフェのケイちゃんから電話で説明してもらってある。土曜日にやってくる。前方船室のベッドの一部とソファの背もたれを作る。ともあれ、あと10日はかかりそうだ。やれやれという他ない。天候 低く垂れ下がった曇り。船内気温28度。音楽なし。心でセックスヒストルズをがなっている。

2008年5月1日木曜日

Beat the poverty

昨夜Bernardがビールを持ってやって来た。
大瓶3本ぶらさげている。1本50バーツ。彼の食費は1日100バーツ。オーナーから支給されているが、月給は300ドル。そのうち半分をフィリピンに仕送りする。タイ人運転手の給与は6000バーツ。バーナードはそれと同じぐらいのお金で生活している。この額では食べていくだけで精一杯。だから彼は携帯電話やネット代を浮かすために自炊する。ディナーは魚、エビ、鳥料理である。南雲はたまにごちになる。その時はビールを差し入れる。料理だが、鶏肉をからっと揚げてレモンとビネガーとタマネギをかけたのが美味かった。即席南蛮漬みたいなものでビールとよく合う。南雲は彼にPCを持ってきた。PC(ウインドウズ日立製)は友人のお下がりで廃棄料金を請求される代物だが、タイでは中古として1万バーツほどで売られていた。バーナードはパソコン屋で800バーツかけて英語OSをインストールして使用している。「もったいない」がごろごろしている日本。モンキーマウンティン(ゴミ山)で廃品をあさる子供たちのいるフィリピン。地方から売春婦として出稼ぐタイ。格差。搾取。貧困。差別。これらの文字は人類が生存している限り消えることはないだろう。南雲は革命家でも慈善事業家でもボランティアでもない。ポルノを書きとヨットライフをしているそこいらのオヤジにすぎない。ただ、そこいらのオヤジ連中とはちょっと違う。南雲はまっすぐなワルだ。ワルの敵は貧しさなのであります。